by reikopep0510
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こちらのChildishのメッセージ刻印入りのネックレスはヴィリーナで作りました。 オーナーの方がたまたま娘の小学校でご一緒で、保護者会などの学校行事の合間に実物を見せていただいたり、相談に乗っていただき、悩むこと2年間💦 メッセージはLive Laugh Love My precious daughterやLove foreverなど本当に色々お見かけしましたが、ちょうどオーダーをする時期は娘の反抗絶頂期で警察のご厄介になることもあり、親娘関係に心底疲れてました。親から重ーいメッセージは娘も負担でしょうし、高齢で出産した以上、周りのお友達の親娘さんのようにずっと見守ってあげることもできない。だから強く生きてほしい。1人でも自分の信念を曲げることなく、豊かな人生を歩んでほしい、沢山笑って、人間関係にも恵まれて、そのような思いから習い事一つにしても、そして幼稚園や小学校も決めました。 うん、娘にとって、そして私たちから娘への想いとしてこれ以上のものはないかな。 ピンクが効いて、素敵なそして華やかなデザインとなりました。娘にあげるのが惜しくなりそうで、同じものもう一つ作りたい気分😅 裏側には家族の名前を入れていただきました。 3人家族。親戚も少なくて、これから生きていく上で頼れる人があまりいない娘に込められた想い。 いつかわかってくれる時が来るかしら? #
by reikopep0510
| 2023-03-12 05:34
| 子供関係
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母の死で思うこと
悲しい気持ちなんてなかったはずだけど、先程、夕食後に娘と小学校で使っている歌の本を熱唱していたら、パフという曲を見つけた。 小学校の頃歌ったPuff the magic dragonを邦訳したものだった。 私はどこで覚えたのか。懐かしいメロディ。そして娘にも小さい頃沢山聴かせた歌。 アメリカンスクールのサマーキャンプに私も夫も小学生時代に参加したのだが、そこで歌ったよね、と夫は言うのだけど。 この曲を聴いていたら、もうとっくに記憶に鍵をかけてしまっていた小学校時代の4人家族の思い出がフラッシュバックする。 気がついたら涙が止まらなくなって、あぁ、私は今、母が逝ってしまったことがとても悲しいのか、、、と何故だか第三者的に自分を見てしまう。 こんなに涙を流したのは母が事故に遭ってから数ヶ月の地獄のような生活以来かも。 母はこんな形で命を繋いでいたって幸せじゃない、可哀想でたまらない、そう思い続けていた。昨日は爽やかな気持ちのはずだったのに。会いに行っても母に話しかけることも二言三言だけ。そんな私が涙を流すなんて不思議だった。9年前の母の事故以来、感情が麻痺してしまったのだと思う。ペッパーが旅立った時と同じ気持ち。 私も疲れていた。 ずっと疲れていた。 母の施設に会いに行かなくて良くなったという気持ちも強いのかもしれない。 なんて薄情なんだろう。でも、ママ、妊娠時代も出産してからも、ずっと一人で頑張ってきたよ。相談する相手もなく1人で歯を食いしばって頑張ってきたから、だから許してね。 8歳のmちゃんは昨日、母に対面した時にすぐにおばあちゃまの冷たくなった顔をぺたぺたと触っていた。 ではまだ温かいのよ、そう伝えたら手も握ってみたり。反応がないのは一緒だからわかっていないのかな、と思ったけど、帰宅したら、ベッドに顔を押し付けてこっそりと泣いていた。先ほども私がPuff the dragonを聴きながら涙していたら、横で枕に顔を押し付けて泣いていたみたい。 母と意思疎通できなくても、いつも一緒に連れて行き、母の膝に座らせたり、覚えていないと思うけど、母の食事の介助も手伝ってくれて、きっと彼女なりのおばあちゃまという存在だったのかもしれない。 #
by reikopep0510
| 2022-07-06 19:15
| 母のこと
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ご報告
母が昨日の未明、息を引き取りました。 施設からの電話が3:14に5回ほど着信履歴が残っているのに気がついたのは4時過ぎ。 まさか、まさか、と思いながら電話をかけ直して、母が逝ったのを聞きました。 0時の巡回の時は顔色も良く、普通に寝ていたとのこと。2時の巡回で口元から泡が噴き出ていて、顔色も悪く呼吸が止まって脈も取れなかったので医師を呼び3:04に死亡確認、とのこと。 最近の母の健康は小康状態でしたので、驚きました。 薄情な娘だと思われるかもしれませんが、心底ホッとして安堵しました。やっと母も苦痛から解放されました。 ブログも大分ご無沙汰をしておりましたが、9年前の妊娠4ヶ月の時の母の事故の時のことをたまに読み返して、涙ばかり出ていた妊娠時代と娘の幼少期に、実は沢山の方から励まし、支えていただき、天涯孤独に感じてしまっていたけれど、そうではなかったのだな、と、読み返して温かい気持ちになっております。 辛くて母のことは書かずにおりました。 4年前、嚥下機能の低下から誤嚥性肺炎で危篤状態に陥り、何度も救急搬送され、駒沢の東京医療センターの特別室に入院して、特別とは設備が良いだけのことで、無機質な病室と会話のない医療処置が毎日施され、このままお母様を逝かせてあげた方が良いと言われました。 熟した柿なら食べさせられると思ったのです。 嚥下機能が低下して経口での食事が取りづらくなっており、フルーツを柔らかい寒天ゼリーにしてみたり、母が少しでも食べてくれるならと必死でした。 誤嚥性肺炎の恐ろしさが分かっていなかった。 もう食べる力が無くなり、日に日に衰える母はあと2週間ぐらいの命と言われたけれど、胃ろうは嫌だけど、母が餓死するのが辛すぎて、鼻からの経管栄養を頼んだのです。あれが間違いの始まりだったと思ってます。延命処置は希望しないと言いながら、立派な延命処置になってしまい、4年もの間、鼻から管を通された状態では母を生きながらえさせてしまいました。 多分、私の心の中で何かが崩壊してしまったのかもしれません。 母が少しでも長く生きることを望む妹と、こんな辛い状態をこれからも続けさせて、生きながら煉獄の苦しみに母の身を置くのに反対する私。でも、あの時は日に日に弱って骨と皮だけに母がなっていき、顔も土色に変わり果てた母を見てるのが辛すぎて、2週間も続いたら私が狂ってしまう、そう思ってとりあえず代替の処置のつもりだったのです。 死ぬことができない高度な医療技術を持った時代の今、母に辛い思いをさせてしまった。毎晩、この先、母はいつまで生きるのだろう?と考えて眠れなくなってました。とても良い施設に入れてるけど、会いに行くのが辛くなっていた昨今でした。 そう1ヶ月ぐらい最近会いに行ってなかった。 コロナ禍で娘を連れて行くこともできず、面会に色々な制限がある中、きっと母の唯一の楽しみであろう、孫たちに会うことも叶わず、孫に会う時だけ反応があった母は、私だけが会いに会っても無反応で、顔を温かいお湯で拭いてローションを塗り、握りしめられたまま硬直してる母の拳を開いて爪を切る。手にもマッサージで、足もマッサージして30分ぐらい少し話しかけるだけで、あとは黙々とマッサージして退室。 つくづく冷たい人間な私です。 妹は号泣してましたが、私はやっと母の魂が動かなくなった脳と体から解放されて嬉しい。 いつまでも長生きしてね、と妹が母に言うたびに、心の中で、貴方はそれで幸せだと思うけど、母は長生きしたってこの体に閉じ込められて何の楽しみもない苦痛しかない人生が続くだけなのに、どうしてそんな残酷なことが望めるんだろう?と思ってました。 妹に言ってしまったこともあります。 「そうだね、でも私はママがこの世からいなくなるのは辛すぎる」と妹は呟いてました。 あの事故の時、あのまま天に召された方が良かったのだと何度も思ってました。もしあの時、母が亡くなれば私の気持ちが張り裂けてしまったかもしれない。でも、その後の苦痛しかない9年間を味わうことがなかったかと思うと、神様は残酷なことをなさると思いました。 残酷な、、わかりません。 妊娠4ヶ月の私は生きてさえいれば、きっと努力家の母は回復する。障害は残るけど、きっと意思疎通もできて、孫と楽しい時間も過ごせて。 脳外科の執刀医に何度も真逆な説明を受けても、そんなことはない、母は回復する、一縷の望みを持ちながらも、残酷な状況に打ちひしがれておりました。甘かった。甘いんだよ。そんなことあるはずないじゃない。あの時、母を逝かせてあげらればよかったのに。。今の自分は9年前の自分の写真にそう語ってます。 思い返しても辛い気持ちしか湧いてこない妊娠時代、頭蓋骨を半分外されたままに何ヶ月も過ごした母。頭蓋骨が戻っても、顔の横が陥没し、継ぎはぎだらけと頭と生々しい手術痕のまま、急性期の病院にはこれ以上入院させられないと告げられ、妊娠後期はずっと施設探し。やっと決まったリハビリ病院に車で毎日通い、周りからお腹が大きくなってるからと運転を止められ、タクシーで通った毎日。病院では20分しか食事の補佐をしてくれないので、食事の時間に行き、母に40分から1時間以上かけてほんの少しの食事をさせる。帰りに二子玉川のデパ地下で食材を買ったり、1人ランチしたり、そんな妊娠時代。娘がお腹にいたから頑張れたんだと思います。 出産してから、生まれたばかりの娘を抱いてテレビの前でソファに座り泣き続けていた新生児時代。娘を抱っこしながら事故の犯人に電話で罵ったこともあります。産後2週間経ったら、また母の病院に通いだし、車椅子への移乗もやっていました。今思えば、自分の身体にも限界まで無理をさせてました。私が頑張ればきっと母は良くなると思っていました。 リハビリ病院に滞在する期間も限界があり、次なる施設を探すこと30件近く。 高級と謳うべ〇〇セの最高級グレードの施設に見学して窓の外を見たら鳩の死骸が目に入り辞めたこと。新百合ヶ丘の施設から帰宅途中に急に具合が悪くなり、帰宅してから急性胃腸炎で嘔吐をずっと繰り返していたこと、そんなことばかり思い出して、娘がどうだったのか、どうやってお世話していたかを思い出せません。淋しくて淋しくて、せっかく健やかに成長してくれる娘に沢山八つ当たりしてしまいました。 最近は気持ちが辛すぎて、娘の反抗期と重なり、怒ってばかりいました。 昨日知らせを聞いて母の部屋に駆けつけた時、やっと楽になったね、長い間ごめんね。私はやっと笑えるようになるよ、娘と楽しく過ごすこともできるようになると思う、そう告げました。 9年間、長過ぎました。 私の人格もすっかりひねくれてしまい、何も楽しめなかった。楽しもうと忙しくしてみたけど、楽しいことが思い出せない9年間。やんちゃな娘の成長でさえ喜ばずにいたひどい母親になってました。 プラスな気持ちがマイナスの気持ちに押しつぶされてしまってました。 #
by reikopep0510
| 2022-07-06 00:49
| 母のこと
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久しぶりの投稿です。 すっかりインスタグラムに移行してしまいました。 mちゃんは8歳になり、親への反抗も強くなり、なかなか子育てに苦戦してます。 この私のためだけに書かれたブログを読み返すと、mちゃんの可愛かった日々に会える。やっぱりブログをやっていて良かったと思います。 実は母の家の整理で、五人囃子や三人官女も見つかりましたが、持って帰れない。母宅の処分にお願いしている業者にお願いするか、我が家に持ち帰るか。。 悩みます。 最近、娘の反抗的な態度やだらし無さに心が折れる毎日で、何もやる気が起きません。 ムソーのちらし寿司の素を使い、6時ごろからノロノロと作り始めました。穴子、卵焼き、花蓮根、海老、葉の花、さやいんげん、イクラ、そしてエディブルフラワーのパンジーは庭の鉢植えから拝借して、酢飯に投入。 ひな祭りのかまぼこを見つけたので買ってみました。 春眠暁なんちゃらという感じです。 instagramはこちからから
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by reikopep0510
| 2022-03-06 00:44
| 季節の行事
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秋らしいお弁当にしたいと思い、栗おこわとにんじんの型抜きでなんとか秋を演出。 今頃、泣いてるに違いない、と慌てて戻り、小学校に着くや、ママ友さんにバッタリ!「お弁当を渡し忘れちゃって!」「え?私もー!!」。 校門に立つ教頭先生にお弁当を渡し忘れた旨を告げると「今日は何人ものお母様がお子様に渡し忘れていらっしゃいますよ。お弁当初日のアルアルです!」と笑顔で仰ってくださいました。 当人の娘は待ち構えていて「あ、きたきたー!」ですって。お弁当がなくて焦ったでしょう!と言ったら、「別に。ママが絶対来ると思ってたから心配してなかった」とのこと。なんだか複雑な気分です。 帰宅する途中で買った、最近ハマり中のセブンのティーラテと新百合ヶ丘にあるリリエンベルグの季節のマドレーヌでホッと一息。 今日は 瓢玉子 ブロッコリーのナムル 鮭西京焼き とりささみの胡麻焼き 小海老のフライ いつも楽しい食事ですように。 #
by reikopep0510
| 2020-09-30 17:15
| 子供食事
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